創始は舒明天皇(じょめい)(629~641)の頃で、この時代に星崎に隕石が降ったとの言い伝えがあり、社伝に『舒明天皇の九丁酉年(637年)神託により此の千竈(ちがま)の里に社殿を造(つくり)して初めて星神を祀る(まつる)』とされています。
当時は笠寺台地の最南端で東西が海であるところに突き出していたことから、境内の常夜灯が灯台の役割を果たしていたといわれ、その後、星崎城築城の折現在の位置に移したと伝えられています。
境内には、熱田神宮の摂社(祭神と関係のある特別な由緒がある社)となっている上・下知我麻神社があり、この地で盛んだった塩づくり教えた伊奈突智老翁(いなつちのおじ)を祀っています。