『星崎』の地名について調べてみました。
猿投神社(豊田市猿投町)には養老元年(717年)の尾張古図があり、複写版には「星崎」の地名が記載されているものもあります。この図には熱田台地や笠寺台地が捉えられている気がします。

この絵の真偽には様々な意見があるものの、熱田台地や笠寺台地が捉えられているうえ、明和2年(1765)に発生した大雨の記録によれば、名古屋市中一面が水没したとあることを考えると、過去にあった豪雨水害を後世への記録(ハザードマップ)としての意味合いもあるのかも知れません。
(詳しくは、「名古屋なんでも調査団:尾張古図と浪越伝説(鶴舞中央図書館)」をご覧ください。
星崎の地名は、平安時代の記録にあり「古(いにし)へ 天津みかほし 此地の崎に影向く 此故 星崎と號(よ)ぶ」と、岬の突端で星がよく見えたこと。また、星崎は塩田が盛んで、昼夜関係ない作業の中、流れ星などを目にする機会が多かったことから『星』が身近に存在していたと考えられます。
上記とは、まったく異なる意見として、地形の特性から台地と平地の境目を示す「フシ(節)」の「サキ(前・先)」が転じて「ホシサキ」となったという説もあります。