創建は文政5年(1822)のほか諸説あります。祭神は須佐之命(すさのおのみこと)
この辺りは、当時、笠寺台地の南端から鳴海潟と呼ばれる干潟にかけて砂州が形成され、その上に本地、南野、荒井、牛毛の集落ができていきました。
神社の辺りは、いく度となく風水害と改修を繰り返しその都度遷座(位置を代える)したことは容易に推測でき、神社が現在の天白川のすぐ横に建てられたのは、天白川の改修が完了した天明元年(1718)頃だと考えられます。
社務所にも寛政年間(1789~1801)の文書が多数保管されていることからも、そのことがうかがえます。(それより以前は、流出していたともいえます)
境内の案内板には、「昔から伝わるに津島神社の御神符(ごしんぷ)が毎年のように牛毛海岸に流れ着きしを村人は之を神の御神意と解してこの地に奉還して氏子の守護神として現在に至っている」とあり、天白川の洪水を防ぐ願いが込められています。