名古屋鉄道本星崎の南一帯は、阿原(あはら)町と呼ばれており、天白川がこの辺りで蛇行し、たびたび氾濫することで本地、南野、荒井、牛毛が被害を受けていました。そこで氾濫を防ぐために安永9年(1780)頃に天白川の改修が行われ、この辺りは高さ八尺(約2.4~2.7m)の嵩上げ(堤防)工事が行われました。
阿原の地名の由来は、湿地で葦(あし)がよく繁殖するところであったことから「葦原(あしはら)」が短縮したと考えられます。
本星崎の駅を降り、南に歩くと左手に「石神社(いしじんじゃ)」がありますが、この道の東西の高低差が改修工事の名残で、『阿原堤(あはらつつみ)』と呼ばれ、笠寺から天白川と扇川を渡り、知多まで続く重要な道で『知多郡道』と呼ばれていました。