創建は大永3年(1523)、祭神は天照皇大御神(あまてらすおおのかみ)
この辺りは、喚續浜(よびつぎ)と呼ばれ、潮の干満差が大きく台風などの際には高潮や天白川の氾濫により堤防の決壊が多く、水害常襲地だったことから伊勢神宮に祈願してお神札(おふだ)を迎えて守護祈願を行ったことで安全になったといわれています。
本殿は1~1.8m程度の高さで埋め立てられたことで、昭和34年(1959)の伊勢湾台風時にも大きな浸水は免れました。
寛永9年(1632)には隕石が落下(現在の星崎小学校の北付近)した記録があり、昭和51年に国立科学博物館の鑑定により正式に認定されました。鑑定当時は、日本最古の隕石とされました。(その後、福岡県で貞観3年(861)のものが発見され最古ではなくなりました)

隕石は「南野隕石」と名付けられ、文政12年(1829)に喚續神社に寄進され御神体となりました。

境内には、昭和44年(1969)の星崎土地区画整理事業の「完成記念碑」が建立されており、「‥東海道本線が(地区を)南北に縦断して地区が分断され、その下を荷車がやっと通行できる‥新幹線が並行して通る際に新幹線の高架と東海道線の嵩上げ(かさあげ)‥を申し入れた」と刻まれています。
