一般社団法人協働プラットフォーム

防災・危機管理に関するエキスパート集団で構成され、彼らが持つナレッジやスキルを皆さまへ還元することで、安全・安心かつ持続可能な社会を目指しています。

『星崎 歴史・ぼうさいまち歩きラリー』実施中です

詳しくは、Facebook「星崎学区連絡協議会」をご覧ください


⑧【星崎小学校】南区南野三丁目163

昭和40年(1965)に笠寺小学校の分校として開校し、昭和42年に星崎小学校として独立しています。

ここでは、南区の歴史について調べてみます。南区は、名古屋市に初めて区制がとられた明治41年(1908)からある4つの区(東、西、中、南区)の1つでした。しかし、当時の南区の場所は現在とは異なり、現在の港区、熱田区などでした。(下図 南区誌から)

明治41年当時の南区

大正10年当時と現在の南区

また、南区一帯は約6000年前(縄文時代早期)の時代は海の中でした。その後、徐々に陸地が広がり(海面低下)、弥生時代(約2300~1700年前)頃には、ちょうど昭和34年(1959)の伊勢湾台風のときの浸水域の境界が海岸だったと考えられています。(下図参照)

星崎小学校を始め市内の市立小学校は、大規模災害発生時の「地域活動拠点」に定められており、指定避難所となるほか、その地域の被害状況などを収集、伝達する役割があります。

また、避難所として水や食料の備蓄、応急給水や仮設トイレなどのほか、非常用発電機や通信機能などを有しており、どんなものが備えられているか、調べておくことも大切です。(星崎学区では、毎年、原則12月に小学校を会場に防災訓練を実施しています)

小学校の校庭南には、伊勢湾台風の時の最大浸水位置の標示があります。また、その南の道路を西にいった信号交差点にある電柱には、高さを示す表示(NP+3メートル)があります。これは、伊勢湾台風の教訓から家を建てるときの床面の基準(NP+1mなど)を示す標示です。(名古屋市臨海部防災区域建築条例 参照)

キーワードは

防災


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